ツイートの3行目

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【土】潜って拾ってまた浮かぶ

 

 おはようございます。安い毛布を買ってしまったので、毛が抜けて仕方がありません。黒いTシャツを着て寝ようものなら、起きたときには一面に模様がついています。寝具選びは大切だという話はよく耳にしますが、毛布一枚といえども侮ってはいけないのかもしれません。ただ、冬にしかつかわない毛布に、はたしてどれだけのお金をかけることができるのか。かなり難しい判断ですよね。マフラーや手袋にも同じことが言えると思います。みなさんは冬にしかつかわないアイテムに何かこだわりをもっていますか。どうも、インクです。

 

潜って拾ってまた浮かぶ

 

 桜桃が出た。

 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったらよろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。

 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で去勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。

 

太宰治(1989)『人間失格・桜桃』角川書店

 

  全部ぶっ壊して書く。こうして書き上げられた作品はたくさんの人々を魅了してきました。その要因はたくさんあると思いますが、ひとつ挙げるとしたら「人々が容易に踏み入ることのできない深みに潜り込んでいたから」だと思っています。至極かんたんなことばで言うのなら「希少価値」です。多くの人が恐れて近づかない場所に自らずかずかと踏み込んで、そんな世界のようすを「文章」という形で大衆に広めました。

 深く潜ると、陸にいる人たちからはその姿が見えなくなります。私生活はまさに「作者、目下の生活に厭な雲あり」だったのでしょう。ただし、そんな深みから浅瀬に届けられる作品にはたくさんのファンがつきました。

 

小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。

 

 そんな太宰は、よく知られているとおり、1948年に自ら命を絶っています。玉川上水から遺体が引き上げられたのは 、太宰の誕生日である6月19日。今では、はじめに引用した作品にちなんで「桜桃忌」と呼ばれています。

 体調不良が原因だとか、ダウン症の息子が原因だとか、憶測がいろいろと飛び交っていますが、生きている人間が想像する自殺の理由なんてどうせどれも間違っています。むしろ、それを本当に理解できる人間がいたのなら、きっとその人は自殺なんてしていません。だからこそ、1998年に公開された太宰の遺書にもこのように書かれています。

 

小説を書くのがいやになったから死ぬのです

 

  これはきっと本当です。本当でありながら、嘘が混ざっています。その嘘は「諦め」と呼んでもいいのかもしれません。「どうせ理解してもらえない」と思っていたのでしょう。不貞腐れているわけではありません。ただの真実です。深みに潜り続けた結果、太宰のまわりにはもう誰も人がいませんでした。それと同時に、まわりの人からも、もう太宰の姿が見えていなかったのです。「生きている人間が想像する自殺の理由なんてどうせどれも間違っている」とはこういうことです。上から覗き込む水中は光の反射で歪んで見えます。深くなればもう上からは見えません。だから太宰は死んだのです。

 

taishiowawa.hatenablog.com

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  かの有名なロックバンド、ニルヴァーナカート・コバーンもきっと太宰と同じです。フジファブリック志村正彦も同じなのではないでしょうか。誰にも見えない深いところへ潜り込んだまま帰ってこなかった人たちです。

 フィクションにはなりますが、小学6年生が国語で学習する立松和平の『海の命』に登場する「太一のおとう」も同様です。海の深くに棲む「瀬の主」に立ち向かい、帰らぬ人となりました。

 

 一方で『ライ麦畑でつかまえて』の著者であるJ.D.サリンジャーは、これがわかっていたのか、1967年の『ハプワースト16、1924年』という作品を最後に、パタリと発表をやめています。

 また、かの有名なデザイナー、マルタン・マルジェラも、2008年のコレクションを最後に自身のブランドとの関わりを絶っています。

 荒川弘の漫画『鋼の錬金術師』におけるエルリック兄弟も同じです。「真理」に限りなく近づき、代償を差し出しながら「ただの人間」として現実世界へと戻ります。

 先ほども取り上げた『海の命』でいうところの「太一」です。「瀬の主」に出会うものの、立ち向かうことなく地上へと戻るのです。

 

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 どちらの生き方が正しいのかはわかりません。生きている限り「命は大切だよ」と教えられますが、太宰やカートや志村の死が悪いものなのかというと、そうは言い切れないような気もします。少なからず、彼らが遺した作品が今でも多くの人々を魅了し続けているのことは事実です。そういう意味ではやはり「死」には魅力があるのだろうなと思います。「死」に近い危うい人っておもしろいですからね。

 

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