ツイートの3行目

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【水】謙遜から生まれる価値はなんだ

 

 おはようございます。好きなことばは「ありがとう」です!という人とはきっと仲良くなれません。メールアドレスに「happy」か「smile」が含まれている人ともたぶん仲良くなれないでしょう。LINEのひとことを誰かの格言に設定している人ともおそらく仲良くなれないはずです。

 おいおい、昨日の記事で「2人で話せば誰とでも仲良くなれる」って書いてたじゃねえかよ!と思ったそこのあなた。だいぶこのブログのことを好きになってくれているみたいですね。これからも一字一句逃さずに隅から隅まで読んでください。

 逆に、そんなことは微塵も思わなかったよというそこのあなた。このブログを好きになるまでの伸びしろがたっぷりと残っていますね。これからは一字一句逃さずに隅から隅まで読んでください。どうも、インクです。

 

謙遜から生まれる価値はなんだ

 

  上杉謙遜。内科謙遜。るろうに謙遜。

 

 すみません。言いたかっただけです。上杉謙信ファンの皆様、内科検診ファンの皆様、るろうに剣心ファンの皆様どうか怒らないでください。ちなみに、上杉謙信も内科医も佐藤健もこのブログの読者です。みんなこのブログを読んでその道に進むことを決めたそうです。苦しいときや悲しいときはいつもこのブログを読んで勇気づけられたと言っていました。こうして誰かの励みになっていると考えると、書いてきてよかったなと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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  「謙遜」とは「態度」ではなく「精神」を表すことばだと思うのです。ええ、そうです。突然始まりましたよ。もう本編です。「謙遜」と聞くと、きっとほとんどの人が、誰かと話しているシーンを思い浮かべるのではないでしょうか。

 

「いやいや、そんなことないですよ」

「わたしなんてまだまだですから」

「〇〇さんに比べたらごみくずみたいなもんですよ」

  

  このように「謙遜」を「態度」で表そうとします。正直この謙遜、まったくおもしろくありません。相手によく思われるために、あるいは嫌われないようにするために、こんなことを言っているのかもしれませんが、むしろ危険です。わざとらしくなってしまう可能性が高いのです。

 人は「わざとらしさ」を嫌います。あざといぶりっ子が嫌われるのは「わざとらしさ」が原因です。別に「嘘をついている」とまでは言わなくとも、やはりどうしても「謙遜」には「わざとらしさ」が含まれてしまうのです。スイスの法学者であり文筆家としても有名なカール・ヒルティは『幸福論』の中で次のように述べています。

 角に謙遜な人を真に受けてはいけない。ことに、自分で自分を皮肉るような態度を信用してはいけない。その背後には、たいがい虚栄心と名誉心の強烈な一服がひそんでいる。

 先ほども述べたように「謙遜」はあくまでも「精神」です。別にこどばとしてわかりやすく表れていなくとも、その「精神」が伝わっていればいいのです。きっと読者の皆様の頭の上にはクエスチョンマークが2つくらい浮かんでいることだと思いますので、具体例を紹介しながら説明していきたいと思います。これが筆者なりの「精神」を伝える「謙遜」です。篤とご覧あれ。

 

 

 おなじみズリアゲさんが「【水】「そんな意見もあるんだね」の先に生まれるものに価値がある - ツイートの3行目」という記事に対してくださったコメントです。読んでいただいたらわかるとおり、珍しく授業実践について書いた記事だったのですが、これ以上にないくらい嬉しいコメントでした。

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  仮にこのコメントに対して「姿勢」で「謙遜」を表すとしたら、「ありがとうございます!そう言っていただけるだけでもとても嬉しいです!よりよい授業ができるように日々尽力します!」といったところでしょうか。なにもおもしろくありません。きっと気休めのふぁぼを押されてこのやりとりはおしまいです。だから筆者は次のように返信しました。

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  「は?」と思っているかもしれませんが、この冗談の中には「ありがとうございます!そう言っていただけるだけでもとても嬉しいです!よりおもしろい授業ができるように日々尽力します!」という「謙遜の精神」がこもっています。それはきっと相手にもちゃんと伝わっているはずです。そうですよねズリアゲさん。ね。しかし、表には出しません。なぜなら、おもしろくないからです。このやりとりは以下のように続きました。

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  いかがでしょう。「謙遜」を「態度」で表して気休めのふぁぼをもらって終わるのと、「謙遜」を「精神」としてこめて大爆笑ギャグ合戦を繰り広げるのとでは、どちらに価値があると思いますか。どちらの終わり方が好ましいですか。どちらの方がおもしろいですか。

 せっかくなのでもうひとつやりとりを紹介したいと思います。勘のいい方ならお気づきかもしれません。そうです。おもしろかったやりとりを、読者の皆様にただ見せつけたいだけです。それではふたつ目の事例です。どうぞ。

 

 

  これは、1月26日に大阪で行われるイベントに参加します!というツイートです。このツイートにご本人が以下のような返信をくださいました。

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  ご本人から返信をいただけるだなんて時代の変化を感じます。まあ、同じ人間どうしがインターネットを通じてやりとりをしているだけなんですけどね。

 このコメントに対して「おもしろくない謙遜」で返信するとしたら「とても楽しみにしています!当日はよろしくお願いします!」といったところでしょうか。まあおもしろくないですね。これも同じく気休めのふぁぼを押されて終わることでしょう。だから筆者は次のように返信しました。

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  もちろん「とても楽しみにしている」という気持ちは何も嘘ではありません。だからそのまま「態度」で表してもいいのですが、これを直接伝えたところでなんの波も起こりません。お互いの感情は「無」に近くなるだけです。

 だからこそ、このような返信をしたのです。どうでしょう。少しは頭の上のクエスチョンマークも薄くなったでしょうか。簡単に言えば、「おもしろくもない表面上の謙遜なんてやめてもっとふざけようぜ」という話です。「謙遜」はことばの表に露わにするのではなく、ことばの裏にひっそりと仕込むくらいがちょうどいいのかもしれません。さもないと、みるみるうちに「わざとらしさ」が登場し、人から嫌がられるリスクが高まってしまうのです。

taishiowawa.hatenablog.com

 

 

 わかりづらくて、読みづらくて、拙くて、しょうもなくて、読む価値もない、ごみくずのような文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。皆様のようにはいかないかもしれませんが、これからも日々精進していきたいと思います。これからも、愚かで、ダサくて、のろまで、チビなこのブログをどうぞよろしくお願いいたします。