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【日】料理を取り分けてくれるのは当たり前じゃなくてありがとう

 

 おはようございます。2人だとよく喋るけど、3人になると喋らなくなる典型的なアレです。喋らなくなるというよりかは、喋らなくてもいいやと思ってしまいます。その場を和ませようだとか、誰かに助け舟を出そうだとか、そういう気遣いがまったくできません。

 ところが、こうしてブログを書くようになって、ことばで気持ちを伝えてもらえることのありがたさを知りました。わざわざ言わなくてもいい何でもない一言を、ことばにしてもらえるだけで、言われた側はこんなにも嬉しい気持ちになるのです。コメントを残してくださる方々、本当にありがとうございます。これからはもう少し、周りの人のためにことばをつかっていきたいなと思いました。どうも、インクです。

 

料理を取り分けてくれるのは当たり前じゃなくてありがとう

  忘年会シーズンがやってきました。「#忘年会スルー」というタグがトレンド入りして話題になっていましたね。行くも行かないも勝手にすりゃあいいじゃない。わざわざ行かないことをアピールしなくても...と思います。結局は、自分の選択が間違っていないと他者に同意してほしいのでしょう。1人ぼっちは不安ですからね。

 まあそれはさておき、本題に入りましょう。忘年会で発生する「料理を取り分ける」という仕事についてです。料理を取り分けるのは、基本的には若者です。若者が進んで取り分けて、先輩たちに配ります。特に女性は多いのではないでしょうか。未だに「炊事は女性がやるものだ」みたいな変な風潮がありますからね。ばかばかしいったらありゃしません。

 

 食いたきゃ自分で取れよ

 

 そう思ってしまいます。別に取り分けるのが嫌なわけではありません。先輩が嫌いなわけでもありません。ただ、それが当たり前になっているのは違うだろと思うのです。取り分けるのは善意です。「取り分けない」がベースであって、「取り分ける」は+ α の善意です。なければないでいいのです。

 それにも関わらず、取り分けなければその人は「気が利かない人」になってしまいます。おかしな話ですよね。プラスマイナス0ではなく、マイナスになってしまうのです。親切から始まった行為が、当たり前になり、ついには義務になるのです。取り分けてもらった人は「ありがとう」と言いつつも、それが当たり前だと思っています。嫌なかんじだなあと思います。

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 これと同じ現象に「席を譲る」というものがあります。若者が老人に席を譲る。もうお分かりかと思いますが、これも同じく善意です。「譲らない」がベースであって、「譲る」は+ α の善意です。なければないでいいのです。

 

 座りたきゃ自分で頼めよ

 

 そう思ってしまいます。もちろんお願いなんかされなくたって、お年寄りが立っていれば座席くらい譲ります。譲りたくないなんてこれっぽっちも思っていませんし、それで誰かが笑顔になれるのならとても素敵なことだと思います。ただ、それが当たり前になっているのは違うだろと思うのです。

 譲らなければその人は「優しくない人」になってしまいます。プラスマイナス0ではなく、マイナスになってしまうのです。お年寄り本人はともかく、まわりで立っている人たちからは白い目で見られます。「最近の若者は席も譲らないのか」だなんて言われることもあるでしょう。

 いやいや、待てよと。先ほども述べたように、本来ならば座りたいと思っている人が「譲っていただけませんか」とお願いするべきです。さらに言えば、お願いされた側には「断る」という選択肢も残っています。ところが、もしお願いされた上で断ろうものならどうなるでしょう。まわりからは冷ややかな目で見られ、下手すれば軽蔑されてしまうかもしれません。

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 こんな記事を書いているだけでも、もしかすると「なんて薄情なやつなんだ」と思われているかもしれません。特に上記のシチュエーションでは、それだけ「善意」が常態化しているということです。親切が当たり前になっていると聞けば、なんだかいいことのようにも聞こえますが、本来ならば発生するべき「ありがとう」が失われているということでもあります。それと同時に、裏側では「悪者が生まれやすい環境」が整えられてしまっています。

 たとえば、この記事のはじめにも述べたコメントへの喜び。これは、コメントをもらえることが当たり前ではないからこそ生まれてくる感情です。もし「読んだ人は必ずコメントを残さなければならない」という条件の下だったとしたら、こんなに喜びを感じることはなかったと思います。コメントをしない人が冷ややかな目で見られてしまうような条件の下なら、きっと喜びはさらに小さくなっていることでしょう。

 

 

 ここまで書いて気がつきましたが、昨日読んだCountryTeacherさんの記事と結論が似ているような気がします。書く人が違えば、そこに至るまでの道中がこんなにも違うものなのですね。一緒に読んでいただけるとおもしろいかもしれません。

www.countryteacher.tokyo

 人が優しくしてくれる。これは当たり前ではありません。いや、当たり前ではないと思った方が、優しい世界が広がります。わざわざ料理を取り分けてくれるだなんて。なんて優しい人なのでしょう。わざわざ席を譲ってくれるなんて。なんて優しい人なのでしょう。わざわざコメントを書いてくださるなんて。なんて優しい人なのでしょう。みんな本当にありがとう。