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【火】<後編>英語とプログラミングよりもお金とインターネット

 

 おはようございます。マラソンを完走して、2日目になります。思っていたよりも動けている自分に驚いています。はじめてフルマラソンを走ったときの翌日はまったく動けなかったのに。きっと走り方がよかったのでしょう。2回目ならではの発見がたくさんあったので、またひとつの記事にしようと思います。どうも、インクです。

 

英語とプログラミングよりもお金とインターネット

  ようやく<後編>までたどり着くことができました。初の3部作、ついに完結です。長い道のりでした。これもまた実験ですね。アクセス数にどう変化が表れるのかが楽しみです。<前編><中編>の内容を簡単にまとめると以下の通りです。

道徳 → 内容項目を議題として取り扱うとおもしろい

英語 → 日本語を知るための比較対象になる

プログラミング → 過程のつくり方の前に目的の定め方

 本格的に学校で導入される3つの教科(ややこしいのですべて「教科」と呼びますね)について、私見を述べてきました。まだの方がいらっしゃったら下のリンクから飛んで、読んでみてください。今日は、それらの内容を踏まえて「この3教科よりもお金とインターネットの授業をした方がいいんじゃないか」という話をしたいと思います。

taishiowawa.hatenablog.com

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4.お金

 電子マネーに仮想通貨、年金問題クラウドファンディングと、お金のあり方が劇的に変わろうとしている時代です。「日本ではお金儲けが悪だと思われているけれど今一度ちゃんと考えなければならないよね」というような話もよく耳にするようになりました。そんな時代だからこそ「お金」について学ぶことは重要な気がします。

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 そもそも、どうして日本では「お金」が卑しいものとして扱われるのでしょうか。その原因は、江戸時代にまで遡ります。くわしく話し始める前に、まずは「江戸時代」についてざっくりおさらいしておきましょう。

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が幕府を開く(1603年)

鎖国  

士農工商身分制度  

貨幣経済  

朱子学

・15代将軍徳川慶喜大政奉還によって終わる(1867年)

  このように、「江戸時代」は256年も続く平和な時代でした。この維持された平和には「お金」が大きく絡んでいます。そんな「政治」と「お金」の関係を紐解くためにも、江戸の幕政改革に注目していきたいと思います。

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 学生時代、テストに向けて一生懸命丸暗記した方も多いのではないでしょうか。享保・寛政・天保を指して、「江戸の三大改革」と呼ばれることもあります。「改革」と聞くとなんだか素晴らしいことにように聞こえますが、そもそも「改革」が必要な場面ってどのような状況でしょうか。なんの問題もない「改革」なんて必要ありませんよね。「改革」が行われるということは、その前に「どうにかしなくちゃいけない」状況があるということです。

 簡単に言えば、幕府は困っていたのです。何に困っていたのかというと「お金」です。つまり、これらの幕政改革は、政治資金をいかに集めるかという戦略だったのです。そんな「お金」の集め方がそれぞれの人物で違うのと、大衆の「お金」の捉え方がとてもおもしろいので、ひとつずつ見ていきましょう。 


(1)享保の改革徳川吉宗

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 まずは、享保の改革を行なった徳川吉宗についてです。彼は「暴れん坊将軍」という通り名の他に「米将軍」という異名ももっていました。当時の幕府の財源は、農民からの年貢、つまりは「米」でした。米を増やせば、年貢も増える。年貢が増えれば、幕府も潤う。ということで、新田開発の推奨など、「米」に関する対策をたくさん行なった人物でした。

  ただ、「米」は通貨としての役割を果たすのと同時に、商品としても市場に流通しています。流通量が増えればどうなるかというと、当然のことながら価格が下落してしまいます。どれだけ幕府が「米」をもっていようとも、その価値自体が下がってしまうとどうしようもありません。

 つまり、一時的に財政は立ち直ったものの、それは儚い夢と散り、結果的には再び困難な状況に舞い戻ってしまったのです。公事方御定書を決めて裁判の公正化をはかったり、目安箱を設置して民衆の意見を聞こうとしたりと、様々なことを行なってはいるので一概には言えませんが、財政面で言うならば「享保の改革」は失敗に終わったのでした。

 

(2)田沼の政治:田沼意次

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 次は、田沼意次についてです。すでに疑問に思っている方もいるかと思いますが、田沼の政治には「改革」という名がつきません。なぜかというと、田沼は嫌われ者だったからです。一体どうして嫌われてしまったのでしょうか。

 田沼が生きた時代には、すでに貨幣が流通しており「お金は卑しいものだ」というイメージが刷り込まれていました。そのようなイメージが刷り込まれた理由は簡単です。庶民に財力をつけられると政府が困ってしまうからです。だから、政府は必死でした。なんとかして「質素倹約は美徳である」と説き続けました。当時、一番稼いでいた「商人」をもっとも低い身分に定めました(士農工商)。その縦関係を強固なものにするために「朱子学」も広めました。すべては、政府を守るためです。

 そんなときに、「商人」から「お金」を集めようとしたのがこの男、田沼意次だったのです。当時からすれば、卑しき「商人」と「政府」が直接的な関係を築くなど、絶対にタブーです。その壁をぶち壊したのが田沼意次だったのです。具体的に何をしたのかというと、同業者組合にあたる「株仲間」を推奨し、「冥加金」を徴収しました。政府に「株仲間」を認められるとどうなるかというと、その市場を独占することができるようになります。「商人」からすれば「冥加金」という名のわいろを支払うことで、さらに儲けられるようになるというわけです。

 先ほど述べたように、当時もっとも稼いでいたのは「商人」です。その「商人」から「お金」を集めたわけですから、そりゃあ政府の「お金」もたくさん集まりました。つまり、財政面として田沼の政治は大成功したのです。

 しかし、このあと立て続けに天災に見舞われ、田沼は失脚することになります。失脚した後には、「卑しき商人と結託した悪人」として語り継がれることになるのでした。悪人の政治に「改革」はつけられないというわけです。

 

 さあ、話を元に戻しますが、今の日本でもお金が卑しいイメージをもたれている理由が分かったでしょうか。我々は、100年以上も前から続く政府のイメージ戦略に、まんまとはまり続けているというわけです。「多くの人がお金を卑しいと思う」ということは、「多くの人がお金を卑しいと思ってくれていた方が得をする人がいる」ということです。ここまでの話では、それが徳川政権でした。

 きっと徳川政権は、庶民が財力をつけて立ち向かってくることに怯えていたのでしょう。しかし、当然そんなことは言えないので、なんとか庶民にお金が回らないようにしなければならなかったのです。そのために、「質素倹約」を前面に押し出し、お金を稼ぐ「商人」の地位を下げました。だからこそ、どれだけ財政を立て直したとしても、政府は田沼を認めるわけにはいかなかったのです。なんてかわいそうな田沼意次。一応、のこりの2名も簡単に紹介しておきましょう。

 

(3)寛政の改革松平定信

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 寛政の改革を行なった松平定信です。「悪人」が失脚した後に、前に立つわけですから、彼は庶民にとっての「ヒーロー」です。しかも、あの「享保の改革」を行なった徳川吉宗の孫にあたります。人々の期待はとても高かったと言えるでしょう。

 松平定信が行なったことは、主に「田沼政治の破壊」でした。田沼が財源としていた「株仲間」を解散させたのです。「商人」を優遇することを止め、今まで通りに戻しました。また、おじいちゃんのやり方に見習い「質素倹約」を徹底させました。

 しかし、その徹底加減が度を超えてストイックだったそうです。朱子学以外の学問を禁止するにまで至っています。庶民からしたら、押し付けがましかったのでしょうね。

白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき

という「田沼が恋しい」という歌が詠まれるほどでした。松平定信もまた、民衆の反感を買い、失脚してしまいました。

 

(4)天保の改革水野忠邦

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 最後は、天保の改革を行なった水野忠邦です。当時は、江戸への出稼ぎ農民が増えており、単純に「米」をつくる人が減っていました。貨幣経済になったといえども、「米」が重要であることには変わりませんので、出稼ぎ農民を帰郷させる「人返しの法」を発令しました。

 その他にも、松平定信と同様に、株仲間を積極的に解散させたり、倹約令を強化したりしたのですが、市場を大きく変化させることとなり、結果的にはむしろ混乱をまねくことになってしまいました。

 そして決定打になったのが「上知令」という法令でした。幕府の権威を取り戻すべく、江戸や大阪の周辺の土地を幕府の直轄地にしようとしたのです。当然そこには、はじめから住んでいる旗本や大名がいましたが、その人たちに引っ越すことを命じたのです。しかも自腹で。大外脅威への対策強化でもあったそうですが、そりゃあ反対されますよね。結果的には実施されずに終わり、このまま幕末へと向かっていったというわけです。

 

 このように「お金」という観点から、歴史を振り返ってみるととてもおもしろいですね。決して成功していないのに、「農民」に焦点を当てて対策を行なった3人は「三大改革」と呼ばれ、「商人」に焦点を当てて見事財政を回復させた田沼意次の政治は「改革」とは呼ばれないのです。

 先ほども述べましたが、100年以上経過しているにも関わらず、市民の「お金」の捉え方がまったく変わっていないのがおもしろいですよね。「お金は卑しい」「お金稼ぎは悪い」「お金に関することは難しくてよくわからない」、ある意味政府のたゆまぬ努力の成果だと言えるのかもしれません。

 結局根本にあるものは「いかに税金を徴収するか」です。市民からお金を手放させるためには「お金」を「悪」とすることが、もっとも手っ取り早いのです。実際にそうすることで、平和な江戸時代が続いたわけですから、一概にそのようなやり方を否定することはできないのかもしれませんが、それらを知っているのと知らないのとでは大きな違いがあるような気がします。

 「お金は卑しい」「お金は難しい」とむやみに遠ざけてばかりでは、いつまでたってもただ搾取され続けるだけです。考えない大衆は簡単にコントロールされてしまいます。しかし、コントロールする側の政府は、当然ながら、大衆がこのまま何も考えずにいてくれた方がありがたいのです。だから政府の配下にある学校では「お金」のことを教えることがありません。これだけ生活に密着しているにも関わらずです。きっとこれからも「お金」が教科化されることはないでしょう。私たちは本当に「英語」や「プログラミング」を学んでいる場合なのでしょうか。「お金」のことはよく知らないまま、大人になればいいのでしょうか。

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 「あれ、インターネットの話は?」と思ってくださっている方は正解です。筆者自身も同じように思っています。あれ、インターネットの話は?

 週のはじめに調べながら書きものをするべきではないですね。時間がかかって仕方がありません。そのせいもあって、今日も最後まで書ききることができませんでした。<後編>の次ってなんて言うんだろう。明日で必ず「英語とプログラミングよりもお金とインターネット」シリーズは終わらせたいと思います。乞うご期待。